牛久のうなぎ屋 やす川メインイメージ
うなぎ屋 やす川の歴史
うなぎの歴史を辿っていくと必ず登場してくるのが、大久保今助という人物。1757年に現在の茨城県常陸太田市で生まれ、江戸でひと財産を築いた立志伝中の人物である。

大久保今助が故郷である常陸太田市に帰る途中、牛久沼を渡る為茶店で渡し船を待っている所、うなぎが食べたくなり、うなぎの蒲焼きとドンブリ飯を頼んだ。
  しかし、今助が食べる前に「船が出るぞ!」の声。今助はドンブリと皿を借り、ドンブリ飯の上にうなぎの蒲焼きを乗せた皿をポンと逆さにかぶせて船に乗り込み、対岸に着いてから土手に腰をおろして食べたところ、蒲焼きが飯の温度で蒸され、より柔らかくなり、ご飯にタレがほどよくしみ、これまでに食べたどこのうなぎよりもうまかった、、、 と言うのがうな丼(うな重)の始まりの様です。

その後、今助がその茶屋にうな丼の話しをして広がった説や、自分の芝居小屋で売り出し広まった説等ある様ですが、1865年に出された「俗事百工起源」にうな丼の考案者は、大久保今助であると記されている様です。

そのためか、現在では牛久沼湖畔にうなぎの店が立ち並び、牛久はうなぎの激戦区とも言われています。
牛久のうなぎに興味を持たれた方はぜひ、やす川のうなぎを試してみてはいかがでしょうか?
牛久沼イメージ
牛久沼イメージ
現在の牛久沼の写真(龍ケ崎市側からの撮影)
ここからうな丼が生まれたと思うと感慨深いものがあるのでは?

写真協力:牛久沼ドットコム
牛久のうなぎ屋 やす川 スペース
© 2010 茨城県牛久市のうなぎ屋 やす川